一寸先は光なり

不動産全般・住宅ローンに不安のある方へ

いじめ

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はじめに

私は教育の専門家でもなく、これから書くことも

整理された結論があるわけでもなく、輝かしい

解決方法があるわけでもありません。

つぶやき程度のことを2回連続で書かせて

もらいましたが

暇な方だけお読みください

役にはたちませんので

いじめ

子供の学校でのいじめ問題。大人の社会でもある「いじめ」

ですが、長年にわたり問題が起きるたびに、専門家・評論家

による議論がテレビのワイドショウを賑わせますが

いつになっても、有効な対策は打ててない気はします。

 

昔からある「いじめ」ですが、いつから社会問題にまで

なってしまったのか?定かではありません。

 

先生の大きな変化

 

昔から大人の社会でも、子供の社会でも「いじめ」

が存在している中、学校に限り、大きく昔と変わった

ものの1つに「学校の先生」が挙げられると思います。

 

昔の先生のようには「威厳・怖さ・自由」が無くなった。

もっと簡単にいえば「はったりもきかなく、校則に

従わせる、服従させることができなくなった」

または「その気持ちも希薄になった」

 

このことは、いじめを防げない最大の要因のようにも

思います。

 

前回「父親がピストルを携帯する重要性」を

書かせてもらいましたが、学校の先生にも「ピストルを携帯」

することは必要だと思う。

 

今の先生は全くの丸腰であり、所持する仕方・チャンスもないのかも

しれません。

 

本来、教壇は生徒の机から一段高い位置にあり、

生徒達をよく見える筈ですし、いじめの兆候は

見える・発見できる場合もあるはずです。

 

現代の先生には何が見えているのか?

見えてても、見ないのか?

 

結局は自信がない。

ワンストップで解決できないし

ピストルを携帯していない。

昔は必ずと言っていいほど

問題があると「体育の教師」

が出てきて、問題を解決していました。

何故か?

体育の教師は大抵は俗に言う「怖い先生」が多く

「ひっぱたく」から。

ピストルを所持し、はったりを効かせ、怖いイメージを

作り上げ、時にはピストルを抜き発射(ひっぱたく)

してました。

これだけのことですね。

 

先生が大きく変化した最大の理由は

「マスコミの影響」「マスコミが作る造語」(ひきこもり

体罰・登校拒否・いじめ)

だとおもいます。

 

マスコミにより、教育者として「できる範囲が狭められてきた」

ことに、他ないでしょう。

(今では体育の教師もおとなしいでしょう)

 

先生もマスコミの被害者?

 

昔ほどを親からの信頼・威厳もないので 

当然、仕事へのモチベーションは落ちる結果になり、

やれることが少ないので、「子供と距離を置く」

結果になると思います。

 

子供に何らかの悩み・相談を持ちかけられても

「応えてあげれない」可能性が高いなら

その応えてあげられない、自分へのがっかり感を

味あうよりは、悩み・相談を聞かない方が良いかも

しれません。

 

教師が距離を置けば、自ずと生徒も

必然的に距離を置くでしょう。

 

 

いじめを助長する教師は存在する

 

例えば、タクシー・バスの運転手さん。

お客を安全に目的地まで移動させる運転の

プロフェッシャナル。

 

この運転手さん、いくらプロでも所詮は人間です。

事故を起こす可能性は勿論ありますが、

現実には

事故をおこすドライバーは大体いつも同じ人らしいです。

 

「また、君?」みたいな感じらしいです。

何かプロのドライバーとしての「適正」「自覚」

に欠けるのでしょう。

 

「学校の先生も全く同じ」だと校長先生から聞いたことがあります。

これは校長先生達はみなよく知っていることらしいですが、

「いじめが起きるクラスの担任は同じ人が多い」

 

やはり、運転手さんと同じで、「適正」「教育者としての自覚」

に欠けるのでしょう。

 

 

言葉の大事さ・重要性

近年よく耳にする「登校拒否」「ひきこもり」

理由はさておき、とにかく家にこもる、又は学校に行かない。

 

これもおかしなもので、昔から「学校に行きたくない」

「家から出たくない」という子供はいたはずです。

 

小学生くらいまでなら、今も昔もその理由は

さほど変わらない気もしますが、、、、

 

我々の時代には「登校拒否」も「ひきこもり」

もまったく存在しなかった。

みな、学校には来ていました。

 

何故かといえば、「登校拒否」とか「引きこもり」

という「言葉」がなかった・知らなかったので。

 

そういうスタイル・選択があることを誰一人知らないし、

知らないから「学校に行く」ということは当然であり

ほかに選択肢はなかった。

仮病くらい?

 

いつから急激にこの「登校拒否」「ひきこもり」

が増えたのかは知りませんが、おそらく

「マスコミ」が言葉を作り、報道でこの言葉

を使えば使うほど、その数を増やしたのでは

ないか?と思っています。

 

こんな言葉が無ければ、ここまで登校拒否なんて

増えなかったじゃないかな?

 

僕の友人のケース

今から20年前くらいの話です。私の先輩に小学生を

中心に四人の子供と奥さんと暮らしている人がいました。

ごく普通の家庭です。

 

四人とも女の子でしたが、そのうちの一人の

娘さんが若干の知的障害者でした。

 

その娘さんがどうも「いじめ」にあっているらしく

「実はうちの娘がいじめにあっているみたいで、、」

という話は、その先輩から聞いていました。

 

初めてその話を聞いてから半年くらいたった、ある日、

その先輩がちょうど休日だった私の家に来て

「今日、下校時間に娘の学校に行って、いじめている子供

に直接注意しようと思うけど、、どう思う?」

 

と聞かれました。私はそれまでに、その先輩が

自分の子供を守るために、今までにどうゆう対策、

(例えば、担任に相談するとか、いじめている子供の親と話し合う)

を行ってきたかは知りませんが、その先輩の表情から察し

「良いと思いますよ。直接言った方がよいです。

 なんなら先輩、学校の近くまで車に乗せて行きますよ」

と答えました。

 

「じゃあ、お願いできる」という返事だったので

先輩を学校の近くまで乗せて行き、終わる迄そこに待機

していました。

 

どのくらいの時間、待っていたのかは忘れました。

帰ってきた先輩にまず私から

「そのいじめっ子に会えました?」と聞きました

浮かない顔で「会えたよ」と一言。

それ以上は聞きませんでした。

 

しばらく二人とも無言で帰路に向かっていましたが

先輩が一言「頭をひっぱたいた」と急に言いました。

 

要はそのいじめっ子の頭をひっぱたいた  という

ことですが、注意に行くはずが、どうしてそうなったのか?

そのいきさつは知りません。

 

その「ひっぱたいた」と言った瞬間から

その先輩は泣いてました。

 

娘を不憫に思って泣いていたのか?

悔しく泣いていたのか?

ひっぱたいたことが問題になった場合が怖くて泣いているたのか?

あるいは、その全てが重なり泣いていたのか?

 

私には解らなかったですが、一点だけ言えるのは

ひっぱたいたことに後悔はなく、「謝れと」その子供の親に言われても

謝ることはなかったと思います。

 

日頃から温和な先輩でありましたが、彼は大きな都市の

警察官。簡単にいえば公務員です。

その彼が「職を辞する可能性」さえあるこの行動を

今でもたまに思い出すことがあります。

 

この文章だけ読めば「いくら何でも、子供に暴力はまずいよ」

とか、「大人がやりすぎ」といった意見もあるとは思います。

 

しかし、先輩なりに「覚悟」を持って「ひっぱたいた」

ことには間違いなく、僕は「よくやった」と言わなかったが

心では思いました。

 

その後、いじめは全く無くなったそうですが

こういうケース「体罰と言うのか?」「暴力というのか?」

知りませんが、僕は父親として立派だと思いました。

 

 まとめ

犬・猫、他の動物はどのくらいで大人になるのでしょうか?

半年・一年・二年くらいでしょうか?

 

他の動物に比べ、人が人間になるまでの時間は非常に長い。

義務教育で考えれば15年間必要です。

 

近年はやりのマスコミが作った造語のおかげで「学校の先生」

だけではなく「肝心の親」までも子供の教育に萎縮を迫られる。

 

体罰体罰体罰

 

しかし、話をして理解できない子供を

どう導くか?解決方法が他にあるのか?

子供に困っている親は悩むわけですが、、、

 

結論から言えば「今で言う、体罰」以外無いと思う。

(因みに我が家では、娘が幼い頃にひっぱたくことを

元気玉飛ぶよ」とか『元気玉になっちゃうよ」と言ってました)

 

 

父親は家庭では絶対的存在でなければ

ならず、今風に体罰(この言葉がそもそもおかしい、

いやらし言葉)を与える必要は充分にあり

与える時には、

 

「なんで何回言っても解らない?」とか

「お前のために言ってるのに」とか

こんな言葉など全くいらない。

ただ、単にひっぱたく。

 

ひっぱたくことに専念する。

説教しながらひっぱたくのは

最悪。

行為が軽くなります。(やる方も苦痛ですから)

無言がいい。

 

理由は単純で「あたまにきたから」と

喋りながらやると言い訳と勘違いされる

一番の理由は「子供に考えさせること」

言葉がない方がよく考える

 

シンプルがいい。

あ、うちの親父「このラインから親父はキレるな」

 

子供によく考えてもらわないいといけない。

その理由を。

考えれば子供なりに対策もうち

子供なりに親父を考える時間が増え

誠に良いことだと思う。

 

すでに登校拒否とか引きこもり

になっている子供には「とことん負荷をかけるべき」

だと思う。

 

追い込んで

発狂させた方が早い。

 

その子の持つ「怒り」を

全部ださせる方が早いと思うし、

運動不足で体が重く、思考回路に

影響を及ぼしてるとも思う。

かなりの覚悟が親にも必要ですが。

 

最後に、母親の方がもし読んでいたなら

 

嘘でもいいから日頃から父親のことを

子供に褒めるべきだと思う。

 

 「うちは父さんの言うことは絶対」みたいな

発言を日頃から繰り返し、嘘でもいいから子供の前では

父親中心の家庭ルールを子供に示している母親がいる

なら、こういう家庭は子供の問題などには全く無縁だと思う。

非常に賢い女性のやり方。

 

こういう家庭の子供はいくつになっても

母親とよく話をしたり・よく相談したりすることが多いと思うし

素直な子供が非常に多い。

 

母親は父親の10倍くらい影響力があるのだから

「話やすい」「相談しやすい」ことは

理屈ではなく 「ホット」する

無言の安心感を子供に与えると思う。

 

「友達みたいな親子関係」を望む若い人の発言を

たまに聞くことがあるけど

これは母親ならできるが、父親には向かないし

やるべきではないと思う。