一寸先は光なり

不動産全般・住宅ローンに不安のある方へ

体罰

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今日から俺は

昨年、日曜日の22時半くらいから?

今日から俺は」という学園番組が放映されていました。

 

滅多にテレビは見ない私ですが、この番組は面白かったので

見ていました。

まさに我々世代のヘアースタイル、制服で

「なつかしい?」。

 

時は、水谷豊さん主演の「熱中時代」から

武田鉄也さんの「金八先生」へと移った時代。

急に「校内暴力」が取り上げられるようになったと

記憶しています。

 

我々の時代は、「不良」「つっぱり」というのは

非常に「わかりやすかった」

理由は、「不良・ツッパリ」に意思があったから。

 

「僕は私は不良・ツッパリとして生きます」という意思を

ヘアースタイル・制服・口調で、誰が見てもすぐ解るように

自己表現していました。

 

「御意見無用、つっぱてますから」

 

 ツッパリが当時の定番に拘る理由?

・差別化

・虚勢

 

「ふれたら、やけどするよ」

という、はったりが必要ですし、周りの生徒を

服従させコントロールしなければならない。

 

「ボー」と過ごしている中学生よりはよほど

頭も使うし、「世間」や「親」から「不良」

と呼ばれる、ハンデにも負けない、乗り越える

という明確な意思があったわけです。

 

最近の様々な子供の事件報道を見て思うこと

「虐待による子供の死亡」「いじめによる自殺」「ひきこもり」

「登校拒否」「体罰

 

毎日様々なニュースを皆さんと共に目にします。

最近では千葉県のニュースが大きなニュースに

なっています。あそこまでもSOSを出しながら

救えない命。

助からない。

とにかく痛ましいと言うか、さびしい結果でした。

 

長年、本当に長い年月、事件が起きるたびに、、

評論家や専門家が議論・主張

を繰り返しますが、「解決策」は見いだせず

同じような事件・問題は繰り返されます。

 

評論家・専門家が言う言葉に

「ケースバイケースであり、一色単には語れない。議論は必要」

 

確かに・・・が、変わらない教育

 

結局は「我が子は我が家のルールで育て守る」

これ以外にはない気がします。

 

 

 

子供に負荷をかける重要性

「火事場の馬鹿じから」という言葉がありますが

子供になんらかの負荷をかけることは

「生きる力を養う」という意味で必要だと思います。

 

ダーウインの進化論ではありませんが、環境には適合

して生きて行かなければなりません。たとえ、「食糧難」

「貧困・「いじめ」にあったとしても。工夫して生き抜かないと

絶えてしまいます。

 

いじめにあいました。そのせいで

学校に行けなくなり、全く勉強はできませんでした

と言っても、就職時にその理由を理解してくれる

企業は少ないというか、ないでしょう。

 

生き与えれた時代で生きる力を養うメリットは

例えば、スポーツであれば、タイムが悪ければ

「よくするためにはどうすればよいか?」とか

勉強、芸術であれ、同じことが言えるとおもいますが

「本人が考える」ことにあると思います。

「このやり方はダメだからこっちのやり方を試してみよう」とか、、。

また時代に合った、又は沿った生命力を養うことになります。

 

また、考えるに至るほどの環境が本人にあるのか?

といった問題もあります。

近年、特にスポーツは親子鷹が多いと思いますし

親も自分の時間を削りながら楽しんでやっている人が多い。

非常に良いことだと思います

(我々の時代、運動会に親が来ることはありませんでした。

 ギャラリー0人)

 

 

とあるNPOだか何かは忘れましたが

福島の震災後、東京・福島の小学校高学年の

生徒を集め「幸せを感じる時はどんなとき?」という

ディスカッションをした時の記事を読んだことがありますが

 

東京の子供は「ゲームをしてる時」「サッカーをしてる時」

「野球をしている時」といった解答が圧倒的に多いのに対して

 

福島の子供は「家族と会話できる時」「いろんな人に助けてもらった時」

「家族と食事をしてる時」等、の回答が多かったと書いてありました。

 

また災害体験の結果、将来について話す子供も多かったらしいです。

「将来、こういう仕事をしたい」みたいな発言です。

 

この回答から、この統計を取ったチームは、「福島の子供達はこの境遇・体験を

決して無駄にはしないだろう」といったコラムと一緒に、教育専門家は

負荷のかかった子供の成長理論を強く述べていました。

 

僕もこの記事を読みながら「なるほどな」と思いましたが

よくこの福島の子供の回答をみると

「私がない」ことに気がつかれます。

自分主体ではない。

大人でもできない「道徳観」だと思います。

 

鈴木大拙の有名な言葉ですが「私がなければ、みな私」


鈴木大拙 NHK婦人の時間 聞き手犬養道子

 

 

戦前、戦後、食い物が無い時代には、やはり日本人の生命力は

強かった ことは間違いないようです。理屈ではなく

「今日生き抜かないと」という生命力・工夫。

 

近年、「空腹を子供が知らない結果、冷え性の若者が急増」

しているらしいですが、、、。

 

私も52歳にして緊迫するほどの空腹は知りません。

 

そういった世代が親と名乗る時代です。

スマフォ、インターネット等、現在「親」と言われる世代

が幼少期に無かった文明の利器時代を迎えて、急激な時代の変化と共に

 

教育の仕方も変わるのかも?

何か変えなければいけないのか?

と対応に追われ、悩む親も多いのかもしれません?

 

25歳で出産しても、子供が小学校~中学校に上がる年齢を

考えれば、子供世代からすれば、すでに30年くらい時代遅れ、

時代感覚のずれがあるのかもしれません?

親自身は勿論そんな感覚はありませんが、、

 

時代は繰り返す・ファッションの流行も繰り返す等

古いと思っていたこと、物が世代を超え、トレンド化

していくことはよくあることです。そういう考えで考えれば

 

子供と中途半端に年齢が近く、時代背景がさほど変わってないように

思う世代が、むしろ教育において一番古い?可能性もあります。

ましてや、このスピードの速い現代では、、、、

 

が、しかし永遠に変わらないものは1つもないのか?

すべて、最新式でないといけないのか?

と聞かれれば、

「そんなことは絶対にない」と誰でも大人なら思います。

 

父親は絶対でなければいけない

子供の教育に関して、父親ができることはたった1つ。

「家庭では絶対的存在であり、子供を服従させること」

これにつきると思っています。

 

はったりであろうが、なんであろうが、これだけは

必ず、教育に必要不可欠。

地震・雷・火事・親父」昔から言われる言葉ですが、、、

 

スマホばかりいじって勉強しない」

「思春期にかけて母親の言うことをきかない」

「ひきこもり」等々

 

全て、父親が絶対なら解決できると思っています。

「出てきた、出てきた、面倒な奴が出てきた、やばい」

 

これは、近年流行の「体罰」や「暴力」という意味ではありません。

この「絶対的存在」をどう掴むか?

どう維持するか?が父親が考えることであり、ミッションです。

当然ながら各家庭において、違うでしょう。

 

 例えは悪いかもしれませんが、「警察官」は常に

「拳銃」を携帯しています。民間の方が腰に携帯して

いたら大変なことですが、、、

 

日本の警察官が発砲することは皆無に近いことですが

それでも、威嚇・服従させることに役にはたっているとは

思います(アメリカなら当然役にたっています)

 

弁護士も弁護士バッジをつけ、事務所に行けば

六法全書を人が見える位地に飾っておきます。

当然、威厳を保つためです。

(弁護士から六法は演出だよと聞いたことがあるので)

 

父親にも「拳銃」は必要だと思います。

(本物を持てという意味ではありません。)

問題は拳銃の使い方だけだと思います。

携帯は必ずする義務があります。

 

使い方を間違うと

 

・骨折するほど体罰

・鼓膜が破れるほど殴る

・あざができるほど殴る

 

こういった「乱射」が始まることにあると思います。

まず、大事なのは「携帯」することであり、使うの

次の話だと思います。

 

昔、「寺内貫太郎一家」「ムー一族」「時間ですよ」「巨人の星

こういった「ドラマ」「アニメ」がありました。

 

小林亜星さんが親父役で、よく「ちゃぶ台返し」をやります。

巨人の星の 星一徹もそうですが、、、

(一度やったら気持ちいいんでしょうか?

 残念ながら近年、「ちゃぶ台」がない。

 

ドラマですからよく問題が生じるわけですが、何故か最後は落ち着くとこに

落ち着くし、結局は楽しそう。

 

何でかな?とたまに思いましたが、父親と母親の役割がはっきり

してて、子供に「わかりやすい」じゃないかな?とか思うのと

同時に、全員が意外と単純。

 

この時代のドラマ、いわゆる父親がワンマンで

母親が子供のフォロー、理解者であるという

ワンパターン。

 

が、ぱくっても現代でも充分通用する?

単純で子供にわかりやすいので、、、

 

この単純性が結構大事で、最近は叱る時間が長い?

 

ガー とやって、終わった直後から「何もなかった」

みたいな雰囲気て必要だと思う。

僕は1秒後、全く違う話題をしていた。

 

ガー と短時間で言い聞かせ「わかった?」「次はないよ」

「わかったパパ」「よし、終わり」

 その1秒後には「そう言えば、、、来週あそこに遊びいこうよ」

みたいな、、、

 

しかし、「体罰」って非常にマスコミが作った言葉が悪い。

こんな言葉があると、「軽く子供の頭、お尻」をひっぱたいだけで

子供が「体罰」と感じてしまうし、親が萎縮する。

なぜか?「体罰」という言葉があるから。

それだけのこと。

 

次回  いじめについて、、、